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中世から歴史に翻弄されながらも、美しい街並と音楽、そして純粋で美しい心を持つ人々が住むプラハ。そんな素晴らしい街と人の中で私の音楽を作ることができました。
帰ってきてみると、プラハは美しいだけでなく、どこか悲しくノスタルジックな街で、プラハの事を思うと胸が痛みます。これはまるで恋をした時のよう。そんなプラハでの日記を残してみたいと思います。プラハのみんなと作った音楽を聴きながら読んでくれると嬉しいです。(て、発売してからじゃないとムリですねー)
今回のプラハレコーディングは、今年(2003年)の7月にベースのジョージ・ムラ−ツが来日した時に会って、今度のレコーディングは弦と一緒にできたらなあと思っている、という話をしたのがきっかけでした。
彼はプラハ出身なので、じゃープラハで一緒にできたらいいね、なんて話から始まり、彼がすごく動いてくれたのでした。プラハの人たちは若い人以外、英語が通じないのでジョージに頼りっぱなしだったのですが、今回は本当に彼に感謝し尽くせません。そんな訳で、ジョージ・ムラ−ツがいなければ実現していな
かったレコーディングなのでした。
プラハでのレコーディングが決まってからは、私は家に缶詰になり、肩こりと戦いながら作曲とストリングスのアレンジをやりました。3年前に出したCD「Tenderness」でもストリングスと一緒に演奏したのですが、あの時は奇才デビッド・キャンべルがストリングスアレンジをやってくれたので、私はピアノを弾くことに集中していれば良かったのです。しかし今回はすべて自分一人で試行錯誤しながら編曲もやったので、プラハで実際に音が出た時は、感激と共に、自分の中に今までよりさらに強く音に対する責任感が出て来て、気が付くと指揮者に色々注文を出してました。(笑) 自分でオーケストラのアレンジをして実際ピアノを弾く、というのは想像以上に集中力が必要で大変でした。でも、だからこそ今回は、納得いく音ができた、と思っています。
プラハでは毎日日記を付けていたので、写真と一緒にここに残したいと思います。
笑いながら読んでやって下さい。
2003年11月15日(土)
昨日の夜、プラハへ到着しました。なんとも美しい趣のある街です。
昨晩は初めての土地に来たとは思えないくらいにグッスリ眠れて、今朝はまるで自宅にいるみたいにリラックスして目覚めました。
私、プラハって合っているかも。
目が覚めてバルコニーに出てみると、寺院やお城のような建物の景色の中で、私の頭上を沢山の鳥達が飛び立って・・まるで中世のお姫さまになったみたいな
気分・・え?図々しい?
でもなんか、さい先いいぞー。
昨日はジョージ・ムラ−ツが空港まで迎えにきてくれて(彼はほんとに、なんていい人なの)
彼の友人のコーディネーターと一緒に打ち合わせしたんだけど、彼の友人までが私が書いたオケのスコアを見ただけで「これだったら指揮者と打ち合わせしなくても大丈夫」なんて分かっちゃうなんて、やっぱり音楽の資質が違うのかしら。
レコーディングするスタジオは、なんと国立オペラ劇場の中にあるらしいのです。
わー楽しみ。
今日はこれからスタジオに行って、昨日ウィーンから到着したピアノに会ってきます。
では、また後で。
そして夜です。
スタジオはとても歴史を感じるところで、ちゃんとウィーンからのベーゼンドルファーが入っていました。もちろん調律師もウィーンからやってきています。
さ、いよいよ明日から。がんばるぞー。 |